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SOYOLOG.

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他人は他人。自分は自分。 

良くも悪くも決して理解し合えないものだと思うのですよ。
生きてきた環境も歩んできた人生も見てきた景色も
何一つとして同じものではないから考え方も違う。
だから、どんなに努力しようとしても分かり合えないのが当然。
他人は他人。自分は自分。
それ以上にもそれ以下にもなれないし、ならない。

…という考えを持ってる自分なんですが
これを上手く飽和状態にまで持っていければいいものの
年を重ねる度に逆に極端なまでに「境界線」を
引くようになってきたなーと反省する今日この頃です。
昔はもーちょい頑張れてた気がするけども
今はちょっと駄目っぽい。これでも幾分マシになったけど(多分)。
"幾分マシになった"ように思えるようになれたのは
ずーっと傍で手を差し伸べてくれる人が居てくれるからですよ。
よくもまあ自分みたいな偏屈で性悪な超ネガティブ人間に
呆れもせず諦めもせずに近くに居てくれるものだなぁ…と
ある意味、尊敬します。逆の立場だったら自分には絶対無理。
というより、早々に見限るに違いない。
そんくらい面倒で厄介で手の掛かる性格してる自覚はあります。
それなのに、飽きもせずずっと手を差し出してくれてるのは
お人好し過ぎるんじゃないかとちょっと心配になるくらいです。
色々あり過ぎて、色々積もりに積もって「ああ、もういいや」と
全部を投げ出して諦めた上で『誰も信じませんよ。貴方も含めて』と
言い放った自分も自分だけど、『それでもいい』と言い切った相手も
相当なものだと思います。即答だったよ。
「でも自分は信じてる」といわれた時にはこの人ちょっとどうしよう?大丈夫か?と
思ってしまったのも本当だけども、そこにほんの少しの期待をしたのもまた事実。
「今度こそは大丈夫なのかなー」とか「裏切られないのかなー」とか
「そんなん言って都合悪くなったら、すぐ切り捨てるんでしょ?」とか
疑ってばかりでしたよねwww性格悪すぎて本当スミマセンwww
でも、そのくらい疑心暗鬼になってなきゃやってられなかった時期があったのですよ。
そうしてないと、自分を保ってられなかった時期が――――「あった」。

やっと過去形にする事が出来たのは、何を置いてもやっぱり
その人の存在が大きいと思うのです。
凄いよ。多分トータルしたら一年以上は掛かってるよ!
たかが一年されど一年。凄いなと思うのは、その人は本当にずっと
「 信 じ て く れ て た 事 」。
本人が実際はどう考えていたというのは自分には分からないんで
それはどうでもいいのですよ。大事なのは「信じる」という言葉を
言葉と行動で実行してくれた事で、それをやってのけてくれた事。
凄いなーと素直に関心します。うっかり「信じてみようかな」と
自分が思えてしまったくらいには、ずっと傍に居てくれたからなぁ。

「他人は他人。自分は自分。」という考えは一生変わる事はないんですが
ほんのちょっとだけ、もう一度だけ…他人を信じてみるのもいいのかなーと
思えるようになってきた自分にビックリです。
誰彼問わず信じるわけじゃないけど、ずっと手を差し伸べ続けてくれた人の手を
掴むくらいの勇気は持たないと駄目な気がしてきた…。
「もう二度と誰も信じない」という言葉でぶっとい境界線引いてきたけども
そろそろ少しずつでも細くする事を始めてみようかと思いつつ…。
かなりの太さがあるんで消す事は難しそうですが細くしたり薄くしたりするくらいなら
今の自分になら出来るんじゃないかと、ちょっと信じてみたいところです。
そんで、いつか…ずっと目の前に差し出されてた手を握れたらいいなぁ。
その時に伝えなきゃいけない言葉は色々とある気がするんですが
一番に言わなきゃいけない言葉は分かってるですよ。
始めるとしたら先ずは、その一言がないと何も始まらない。



2011/10/30 Sun. 14:27 | trackback: -- | comment: -- | edit

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